●▲■ きた産業 メルマガ・ニューズ vol.147 ●▲■
     発行日:2010年 11月26日(金)
  ■アルコール飲料産業のためのクロスオーバー情報■

発行:きた産業株式会社 http://www.kitasangyo.com

 

------------------< 目 次 >------------------

●▲■ 韓国・続編 ●▲■

 ●▲■ エピソード1 
   「民間(!)の醸造研究所」+「マイクロ・マッコリ醸造所」

 ●▲■ エピソード2 
   「日本統治下の清酒・焼酎製造の資料」

 ●▲■ エピソード3 
    歴史小論:「ソウルの光化門の変遷」

              (text = 喜多常夫)

ご紹介情報●1▲「購買動機のための裏ワザ」・・・裏ラベル拝見
ご紹介情報●2▲「超小型バッチ式パストライザー」
ご紹介情報●3▲「ガラス壜カタログ」更新、全20ページ

 

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●▲■ エピソード1 ●▲■

  「民間(!)の醸造研究所」
        +「マイクロ・マッコリ醸造所」

 

前回、「ソウルの居酒屋サケ事情」を書いたが、
韓国出張の理由はワインやビールの機械設備の納品。

取引先は「又?(ウーコク)総合醸造研究所」という、
民間(!)の醸造研究所で、
教育施設開設のために設備を導入するそう。

酒造業で成功された現会長さんが開設された研究所で、
研究成果の出版や、清酒、ワインなどに関する書籍も出しているし、
すでに何度かの醸造教育を(無償で!)しているそうだ。

 

前号メルマガで書いたが、
韓国では漢字表記をしないのが普通。
ビルの看板や広告もほぼハングル表記ばかり。

しかし、ソウル市街にあるこの研究所のビルには、
「又?」と漢字で書かれているのが意外だった。

「又?」の「?」の文字(麦と曲の組み合わせ)は、
基本的に「麹」と同義。
両者とも音読みは「キク」で、「こうじ(糖化酵素)」を意味する。

手持ちの漢和辞典で調べても、
「[?]は[麹]の別体表記で同義」となっている。

しかし、(日本の)酒類業界では、

  ●「麹」はAspergillus属(アスペルギルス=清酒や焼酎の麹)
   ●「?」はRhizopus属(リゾープス=クモノスカビ)

という区分をしていると思う。

「?子」(キョクシ)は、朝鮮で伝統的に酒造りに用いられる、
クモノスカビの糖化酵素である。

 

話を元に戻せば、研究所の名前の「又?」は、
研究所の会長さんの雅号だそうで、
日本醸造協会誌を数十年にわたって購読されているそう。
日本人として大変光栄なことである。

聞けば当社に設備を注文してくれたのも、
「醸造協会誌の当社の広告を見て」(!)だそうで、
ありがたい限り。

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さて、ソウル市内の又麹ビルに研究所の施設があるのだが、
驚いたのは同ビルの1階に
「マイクロ・マッコリ醸造所」があったこと。

「マイクロ・ビール醸造所」なら欧米や日本でも珍しくないが、
マッコリの小規模醸造所があるのは知らなかった。

5箇所の「マイクロ・マッコリ醸造所」をソウル市内で展開していて、
盛業だそう。
下記は、そのウェブサイト。
http://www.soolsool.co.kr/neurin/shop01.asp

 

全体に大変美しく、
特に特徴的な醗酵甕の形はデザイン優先に見えるが、
実は機能を追及したものだそうで、
パテントも取得されている。

開業時には新聞でも話題になったとのこと。
価格は通常のマッコリの倍くらい(!)もするが、
販売は好調だそうである。

 

韓国では、少し前までの焼酎(ソジュ)ブームが終わって、
今、マッコリがブーム。

マッコリは、
占領時代に日本が個人醸造を実質禁止したので衰退し、
戦後は米不足で米製の酒類醸造を制限した時代が長く、
小麦粉などで造ったマッコリがその評価を下げたこともあったが、
ここにきて、韓国伝統の米の酒として大いに再評価されている。

 

先進国では「伝統酒低減の法則」がある。

フランスにおけるワイン、イギリスにおけるウイスキー、
ドイツにおけるビール、そして日本における清酒は、
20世紀末から自国内消費は減り続けている。
活路は国外マーケット、というのも共通。

マッコリは韓国の伝統酒。
その伝統酒が復活するのは珍しいケースだと思う。

ベルギーではビールが伝統酒だが、
そのベルギービールの国内需要が90年代に増加に転じた、
という話を聞いたことがあって、珍しい例外かと思っていたが。

 

聞けば、かつてよりずいぶん減ったが、
700か所くらいのマッコリ醸造所が韓国国内にあるそう。

日本の清酒醸造所もずいぶん減ったが1,300〜1,400か所。
(アクティブな数。ライセンス数は約1,700か所。)

人口は、韓国5,000万人、日本1億2,000万人なので、
マッコリと清酒は似た割合、似た存在と言える。

 

清酒もマッコリのように、
復活ブームの到来を切に期待するものである。

それと、
ソウルの「都市型のマイクロ・マッコリ醸造所」を見て、
「都市型のマイクロ・清酒醸造所」も、
もっとあっていいのではないか、とも感じた。
(知る限り、黄桜さんの台場醸造所があるだけ。)

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(統計編)
日本にマッコリ輸入が急増しているのはご存じのとおり。
以下は今年3月配信のメルマガからの抜粋。

 日本の韓国からのマッコリ輸入:
   ■2007年 3,890トン(対前年比+15%)
   ■2008年 4,890トン(対前年比+26%)
   ■2009年 5,672トン(対前年比+16%)
     (FOODEX2010における、韓国農水産物流公社のセミナーから)

 日本から韓国への清酒の輸出
   ■2007年 1,069キロリットル(対前年比+61%)
   ■2008年 1,529キロリットル(対前年比+43%)
   ■2009年 1,954キロリットル(対前年比+28%)
     (財務省貿易統計から)

  比重を1とすれば「キロリットル」=「トン」。
  2009年の輸出量を並べて書くと:
   マッコリ 5,672トン vs. 清酒 1,954トン

韓国向け清酒輸出の3倍のマッコリが、日本に輸入されている!

 

 

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●▲■ エピソード2 ●▲■

「日本統治下の清酒・焼酎製造の資料」

 

実際の設備設置場所は、
ソウルから北に車で1時間半ほど行った場所。
日本女性が多くくるという、
「冬ソナ・ロケ地ツアー」の場所のやや北。

会長の息子さんがリキュール製造を行っている会社(工場)があり、
付属の酒造博物館がある。

時々日本人も来る、とのことなので、ご存知の方もいるかもしれないが、
この博物館を紹介したかったのが、
この「韓国・続編」メルマガを書こうと思った動機の一つ。

漢字表記では「家醸酒文化館」といい、
日本語のウェブサイトもある。
http://sansawon.co.kr/jp/gallery.html

 

名前通り、韓国伝統の家醸酒(自家製酒)の資料を展示していて、
体験醸造もできる(!)のだが、
驚いたのは、
戦前の日本統治時代の清酒や焼酎の記録や展示物があったこと。

多くはないが、当時の清酒や焼酎のラベルの展示もある。

若干のスナップ写真を撮ってきたので、資料をご覧ください。
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/in_Korea.pdf

 

展示はされていないけれど、
所蔵されている「古文献集成・酒類編」という、
1910〜1930年代の日本語文献も見せていただいた。

百篇以上の酒類関係の論文集で、
いくつかのタイトルを書き出せばこんな感じ。

  ▲1916年「赤葡萄酒開放式醸造試験」
   ▲1928年「黒麹製造講習」
   ▲1932年「朝鮮薬酒の進出」
   ▲1933年「キリンも工場建設」
   ▲1934年「國産ウヰスキー」

はたして日本には、
これらの文献は残っているのだろうか。

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偶々私は、海外酒類製造の歴史に興味があって、
日本統治時代の酒造に関する書籍、
「朝鮮酒造史」(昭和10年=1925年、発行)を持っている。

「家醸酒文化館」のスナップ写真(資料1ページ)と合わせて、
「朝鮮酒造史」の一部を資料2ページに掲載する。

忘れ去られていくことだが、
戦前には多くの、
清酒、焼酎、新式焼酎、ビール(大日本と麒麟)、ワインの工場が
朝鮮半島にあった。

 

 

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●▲■ エピソード3 ●▲■

   歴史小論:「ソウルの光化門の変遷」

 

韓国での2泊3日の設備納入の仕事は、
3日のうち2日は昼食抜き(!)という忙しさだったけれど、
最終日に研究所長さんが車で金浦空港まで送ってくれる時、
1か所くらいはソウル名所を、と連れて行ってくれたのが
「景福宮」と「光化門」。

僅かの時間の見学であったが、
「ついに軸線上に戻った光化門(詳細後述)」を見た。

「景福宮」(キョンボククン)とその正面の門、
「光化門」(クワンファンムン)は、
日本ときわめて関係が深い。

 

1392年に朝鮮・李王朝が開き、
1394年にその王宮として景福宮が、
また1395年に光化門(光化門の名称は1425年から)が、
漢城(現在のソウル)に建てられた。

しかし、
■1592年に文禄の役(秀吉の朝鮮出兵。韓国では壬辰倭乱)
  で全焼。(ただし、放火したのは朝鮮民衆または朝鮮軍)

長らく放置されたが、1868年に景福宮と光化門が再建。
その後、
■景福宮内で朝鮮王国の王妃を暗殺したこと、
■光化門を撤去して朝鮮総督府を建築したこと、
といった日本が関係した史実が、
日本の観光ガイドブックにはほとんど書かれていないし、
現地でも案内板などを見なかった。

 

今年は、「日本による韓国併合100年」にあたる。

エピソード3はお酒と直接関係なくて恐縮だけれど、
景福宮と光化門の歴史についての小論。

一連の写真資料が手元に集まったので、
資料の3・4ページに掲載させていただいた。
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/in_Korea.pdf

 

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<1894年>
  日本軍は光化門の交通を遮断して景福宮に侵入、
  国王と王妃の身柄を確保、日清戦争開戦のため、
  日本が朝鮮国内から清国軍を駆逐することを認めさせた。

<1895年>
  日清戦争に勝利した日本は台湾と遼東半島を得たが、
  露・独・仏のいわゆる三国干渉があって遼東半島を返還。
  その後、ロシアに接近した朝鮮王妃を1895年に景福宮内で暗殺する。
  この暗殺を計画したのは日本公使(外交官)で、
  日本の高校の世界史の参考書にも、
  「世界の外交史上、例を見ない暴挙といわれる」と書かれている。

<1905年>
  日露戦争後、日本は韓国を保護国とし、韓国「総監」府を置く。
  場所は現在の南山公園近く。初代総監は伊藤博文である。
  (日本ではお札になっているが、
  韓国では秀吉と並んで嫌われる日本人の代表。
  ハルピンで、朝鮮独立運動家に暗殺された。)

<1910年>
  今からちょうど100年前、
  総監府設置の5年後の1910年に日本は「韓国併合」を行い、
  韓国「総監」府が韓国「総督」府となった。
  当初の総督府は総監府と同じ場所だったが、
  1912年には景福宮に移すことがきめられた。

<1912年:●写真1●>
  まだ、景福宮内に総督府建物が立つ前の絵葉書。
  大正元年(1912年)の消印。
  「光化門」の真正面の写真なので、
  門の奥には景福宮の主宮「勤政殿」があるはず。
  後述の軸線(角度や東西方向)の問題もあるが、ずいぶん南でもあった。
  少年が頭に立っている「ヘチ」像は今も光化門の両脇にある。

<1930年頃:●写真2●>
  韓国総督府建物は1926年に完成。その絵葉書と航空写真。
  王宮の勤政殿は総督府の後ろに隠されてしまった。
  台湾総督府(1919年完成、現存)はレンガ作りで中央が高い塔だが、
  韓国総督府は石造りで中央はドーム。
  日本の国会議事堂に近い印象(ドームを除けば)。

 光化門は、当初取り壊される予定だったが、
  民俗学者、柳宗義(やなぎ・むねよし)の反対などがあって、
  東側の建春門の北に移築され生き延びた。

<1932年:●写真3●>
  光化門、建春門、総督府(廰舎)、勤政殿の位置関係が分かる資料、
  「鮮産酒披露会園遊会場案内図」。
  1932年(昭和7年)10月8日、総督府(景福宮)の後庭で、
  朝鮮製清酒59点、薬酒28点、焼酎13点の?酒会、
  および、26銘柄の清酒、焼酎による模擬店・園遊会が行われた。
  来場者は光化門から入るように、と書かれている。

<1963年>
  光化門は朝鮮戦争で1950年に焼失したが、
  1963年に旧総督府(戦後は米軍庁舎を経て、韓国政府庁舎)の前に、
  鉄筋コンクリート製で再建された。
  この時、光化門は、勤政殿の南北軸線上でなく、
  旧総督府建物の正面に合わせて再建された模様。
  (すなわち総督府は、その意図は知らないが軸線から外して建てられた。)
  なお、旧総督府建物は、1986年から国立中央博物館となった。

<1990年:●写真4●>
  インターネットで見つけた、
  旧総督府建物(国立中央博物館)と光化門が併存する絵ハガキ。
  1990年の年号がある。

<1995年:●写真5●>
  韓国国民の大勢の賛同のもとで、
  1995年(=日本の植民地支配から解放された、光復節50周年)に、
  旧総督府建物は取り壊された。
  写真は、取り壊しの足場が組まれているところ。
  植民地時代の威圧の象徴であり、
  また景福宮とあまりにそぐわないないことが、取り壊しの理由。
  なお、国立中央博物館は、龍山(ヨンサン)に移された。

<2006年頃:●写真6●>
  1996年から旧総督府建物は消滅し、
  景福宮と光化門はほぼ昔の状態になっていたわけだが、
  前述のようにその軸線が僅かにずれていた。
  まだ最新情報に更新されていないgoogleマップで、
  そのズレが分かる。

<2010年:●写真7●>
  多大な税金をつぎ込むことに議論があったと聞いたが、
  2006年から移設・復元工事を開始。
  日韓併合100年の今年、2010年8月、
  光化門はその位置を僅かに移し、オリジナルの木造建築として、
  ついに元通り、勤政殿の軸線上に戻った。

 背後の山からも軸線(気?)が通っている、とも聞いた。

 最後の写真2枚はこの10月の出張で撮影したもの。
  移設・復元のなったばかりの光化門の正面と、
  私自身が写っているのは勤政殿中央から光化門方面を撮った写真。
  写真では分かりづらいが、
  勤政門を通して、
  かなたの光化門がまっすぐの軸線上に見通せる。

 

専門外で誤謬もあるかもしれないが、
以上が景福宮と光化門にまつわる、
日本と韓国の歴史と、その後の経緯である。

 

軸線が通る、と言われて個人的に思いだすのはパリの街。
「ルーブル博物館」、「シャンゼリゼ」、「凱旋門」、
そしてはるかかなたの「新凱旋門」は、1本の軸線上にある。

チュイルリー公園から眺めると、
凱旋門の間に、新凱旋門(デファンス)が見えるのは感動的である。

 

軸線を通している都市には、
ある種の生気、または強さがあるように思う。

先日来の北朝鮮の韓国砲撃のニュースには、
危惧を覚えざるを得ないが、
光化門の軸線復帰を得て、
韓国やソウルがさらに生気に満ち、発展することを願うものである。

 

<acknowledgements>
初めての、しかも僅か3日の韓国滞在で、
多くのインスピレーションを得る機会を与えていただいたことに対し、

又?総合醸造研究所
会長  「商冕(Bae Sang Myun)さま
所長  鄭昌敏(Jung Chang Min)さま
副所長 崔允豪(Choi Yoon Ho)さま
および、関係者の皆さま

に心からお礼申し上げます。

                 (text = 喜多常夫)

 

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さて、参考情報の紹介です。

●▲■ ご紹介情報 その1:KK & K2ディビジョン ●▲■

「シーナズ・ウォッチング」はインターネットでも見れます。
最新号は下記!

「購買動機のための裏ワザ」・・・裏ラベル拝見、海外マーケット編
http://www.kitasangyo.com/Archive/SUR/sienna_pdf/SUR_1010_SW.pdf

きた産業は豊富な海外マーケット情報、輸出仕様ラベル情報を蓄積しています。
輸出仕様の表ラベル、裏ラベルはお任せください。

キャップについてはヨーロッパで人気の高い「W王冠(冠頭・替栓)」のほか、
開封時のリスクの少ない「ロールオンねじ」
欧米で一般的な「スプリットのないスクリューキャップ」も承ります。

 

 

 

●▲■ ご紹介情報 その2:ROOTSディビジョン ●▲■

「超小型バッチ式パストライザー」
http://www.kitasangyo.com/Products/Data/machine/micro_past.pdf

本格的なトンネルパストライザーと同じ、
6〜7段階の温度上昇、下降のプログラムが可能。

常時、人がつく必要がありません。
入れるとき、出すときだけの作業。

研究目的のほか、
スパークリング・サケや
スパークリング・リキュールなどの小規模生産にも。

冷却ゾーンのコントロールは、
品質に向上します。

(cooperate with 富山鉄工)

 

 

●▲■ ご紹介情報 その3:K2ディビジョン ●▲■

「ガラス壜カタログ」更新、全20ページ
http://www.kitasangyo.com/Products/Data/package/K2glassbottle_ed1009.pdf

新カタログに更新しました。
新しいラインナップも加わっていますので、
是非一度ご覧ください。

カタログには掲載が間に合っていませんが、
主に地ビールなどにお使いいただいている
KHB-330、KHB-200に、従来からの「王冠口」に加え、
「マキシキャップ口」もラインナップしました。

 

 

 

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